Mein Klavier und ich~ ピアノと私

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 「こんにちは。それでは、まずAZUMIさんがピアノをやりはじめたきっかけから教えてください。」

ピアノ・・・を初めて弾いたのは3歳のころで、当時住んでいた中野の近くで習ってたんです。

わたしは双子なんですけど、母が言うにはもう片方は10分もしないうちに、レッスンに飽きちゃってテーブルの近くにあるおもちゃや本で遊びだしちゃうんだそうです。

それで、先生は二人でワンレッスンのような感覚でレッスンをなさってたので、彼女が10分。
残りはわたしがずっと弾いてる形になりますよね・・・。
でもわたしはピアノから離れなかったみたいなんですよ。
 
  • 「それじゃ、今はレッスンに飽きてくれた双子さんに感謝しなくちゃいけませんね。」
 
 彼女は今、生まれてきた子供にピアノを習わせてるんですよー。
ママもがんばって弾いてたんだよって。
わたしも時々、姪に教えてます。
 
 
  • 「では、そのままAZUMIさんの方はピアノに向かって楽しく進んで行ったんですね」
そんなことないんです。
幼稚園は、母の実家の福岡県で過ごしたんですが、飯塚ってところから一時間かけて福岡まで通ってたんですね。
母はものすごくスパルタで、レッスンの日は幼稚園に行かせてもらえませんでした。
行かせてもらえなかったって言うと、
「いや、行かせてたわ!お昼は食べに行ってたじゃないっ。」
って。
お昼になると幼稚園はとても近くにあったので、ナイススティックみたいなパンを持って(母はそんなパンは持たせたことはなかった、と言ってます)みんなと食べて、 そしてまた帰って練習・・・。
母は、当時から冷凍物やファーストフード類は食べさせないって、徹底してたんですけど、レッスンで丸をもらうと、ロッテリアのアップルパイを買ってくれました。
「特別よ。」って。
わたし、幼稚園時代のピアノのレッスンは一切覚えてないんですけど、
あの、特別なアップルパイの香りだけは今でも、ぐっときちゃいますね。
 
  • 「お母様は、すべてに教育熱心でいらっしゃったんですか?」
 
んーー。いや、ピアノだけでした。
ピアノをちゃんと弾いたら勉強してもいいよって。
最近、姪が小学生になって、色々勉強してるのを見て
「わたしたちのころって宿題なんて一つもなかったのにね。
最近の子は大変だよね。こんなに宿題して。ついにゆとり教育から目覚めたのかもねぇ。」
なんて言ってたら
「宿題はあったけどあなたは全部学校でやってきてたのよ。」
って母に言われて・・・。
はぁ・・・記憶はピアノで埋め尽くされ過ぎていて忘れちゃっているけれど
宿題も家でさせてもらえなかったなんて、姪より私の方がずーっとせつないじゃないか・・・って。
 
わたしは本が大好きだったんですけど。
もうねぇ・・・本もね、電柱にぶつかりそうになりながら読んでね。
あとトイレの後ろとかにも隠したり、練習してるふりして片手で持ちながら読んだり。
とにかく、毎日がピアノ中心の生活でした。
 
小学校一年の時の感想文で入賞したんですけど、ピアニストになって戦争をなくしたいです、なんて書いてある。
そして、中学生の時の卒業文集にも
「ピアニストになります!絶対!」って。
なんていうのか、あの頃のあの人って眩しすぎるの。
 
 
  • 「そうなんですか!もう一年生で将来の夢を描かれていたんですね。」
 
 
そう、みたいですね。あ。でも、宿命みたいな感じかなぁ。
 
実は、母のスパルタの原因は、私の足の火傷にあるんですよ。
 
  • 「火傷・・・?」
 
 
はい。0歳の時に、当時の掘りごたつの中で左足の先を火傷して。
親指以外の指の爪も燃えちゃって、ないんです。
 
 
 
あ、厭、不幸な話をしようとしてるんじゃなくて、母はなんか火傷イコール野口英世!みたいに思っちゃったみたいで、たまたまわたしがピアノを楽しそうに弾いているから とにかくピアノをさせよう。
何かひとつ、出来てれば、きっとこの子はだいじょうぶだろうから、って。
 
ってとっても美談ですよね?
でもねー。美談で終わらせませんので。
こないだ母に、あなたの歩き方、かっつかっつうるさいのよ!って言われましたからね。
「わたし、左足が疲れやすいから、こうなっちゃうんだけど・・・。そんな意地悪なこと、お母さんにしか言われたことないよ!」
って言い返したら
ものすごくすまなさそうな顔で
「ごめんなさいー。忘れてたわ。」って大げさに謝られて。
 
 
 
でも、その時思ったんですよ。
一番わたしの火傷に心を痛めてた母が、それを忘れるなんて、すごいなって。
きっとそれが、母の教えだったんだなって。
 
わたしは、左足をものすごく愛してるんですね。
疲れやすいけど、愛しい。
そして何かが欠けてることは、人を強くするしやさしくすると思うんです。
 
わたしが、堂々と生きてこれたのは、100パーセント母がピアノをさせてくれたおかげだと思ってます。
 
 
  • 「母は偉大とは、まさにこのことですね。」
 
次回は、師匠との出会いについて、です。
(インタビュー N)
azumi piano
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